1.3 数学は抽象と論理を重視する記述言語である

ところで概念を抽象化し、論理的に組み合わせる、というのは、実は(自然)言語の持っている働きでもある。人間の知識全体が体系的なのである。それは人間がものを考え(think)、人間同士が意思を通じ合う(communicate)ための基本前提である。

実際、数学は一種の「言語」なのである。ただし記述を主とする言語である。

数学では、一般的な数や図形を文字で表し、様々の記号(symbol)を用いた「数式」という文を書く[1]。定義などでは自然言語を使わざるを得ないが、それは最小限の「数学的に許容される言い方」にとどめ、また意味が曖昧にならないよう十分に注意する。

理論を記述するときの核となる部分は、演繹的推論と呼ばれる特別な「文法」に依拠することにより、一定の前提から結論を得るプロセス(証明)が、厳密な形で書かれる。この仕組み(論理)は自然言語でも同じであるが、数学では限られた特有の使い方をすることで、「(前提を承認する限り)反論の余地のない」ものとなる[2]

数学において「正しい」とは、論理的に正しいことに他ならない。この点他の自然科学におけるように、何か新しい現象が発見されて、それまで「正しい」とされていたことが「誤り」になる、ということはない[3]

しかしすべての論理の連鎖を書き下すことは効率的でないので、幾つかの「定理」「公式」「アルゴリズム」などのサブルーチンを用いて、記述や思考を効率化することになる。

こうした方法論は、基本的にユークリッドの『原論』で確立された。『原論』は当時得られていた数学理論全体を体系的に記述したものであるが、後世様々の学問的記述において重要な「規範」(model)とされた。

また具体的な数の代わりに文字を用いることで、数学言語は極めて大きな汎用性を獲得した。さらに十進記数法や文字式の導入により、様々の計算を一定のアルゴリズムに従って形式的に行うことが可能になり、著しい思考の効率化を実現した[4]。そしてコンピュータにこれを乗せることで、人類は人力計算をはるかに凌ぐ桁違いの能力を獲得している。

しかしここで特に強調しておきたいのは、「計算」もまたあくまで文章だという点である。数式、特に文字式は数学的に意味のある「文」であり、それらをアルゴリズムに従って操作することは、形式的であるにせよ、論理に従った推論を行っていることに他ならない。具体的な数の計算や文字式の形式的操作はコンピュータに敵わないが、よいアルゴリズムを考え出したり、計算の意味を考えることは人間でなければできない。

 

[1] この記述言語は万国共通(global)である。私たちは数式で「筆談」することができる。

[2] これはあくまで数学理論の記述には演繹的推論が必須とされる、と言っているのである。数学を理解したり、考え出したりするためには、直観・帰納的推論その他の精神的活動ももちろん用いられ、実際極めて有効である(cf.[3.2])。

[3] 証明が不十分で、結論が必ずしも正しくないことが後で判明するということはありうる。

[4] これは基本的にアラビア数学が成し遂げたことで、私たちはその基礎の上に立っている。さらにここで述べた意味での「数学言語」の最終的確立は17世紀ヨーロッパでのことである。